夢はいつも迷路――『キラー・メイズ』
「迷路を作ったのは、何かを作りたかったからだ」
長く日の目を見ることなく悶々とした日々を送っていた(自称)芸術家のデイブ。そんな彼がある日作り出したもの、それは「迷路」だった。それもなんとほぼ100パーセント「ダンボール」製である。
開幕早々、部屋の真ん中に現れた迷路の入り口は妖しげな魅力にあふれていた。全体はダンボールなのに煙突がついていたり謎の煙が吹き上がったりして、ただならぬ雰囲気を漂わせている。だが目を引くシーンと対照的に、デイブの元を訪ねた恋人のアニーは冷静で見ているこちら側との温度差が面白い。「またやってんのかこいつ。さっさと戻ってこいよ」くらいのテンションだ。
しかし、デイブは迷路の中にいてなかなか外に出てこない。というのも、迷路を作っているうちに迷ってしまったそうで中は相当に危険らしい。そのうち、不安になった彼女は友人たち(デイブの知り合いでもある)を呼び救出に向かう……。
のだが、迷路に入るまでの間がやけに長い。それもデイブの部屋から画変わりしないので、退屈に感じてしまう。十五分ほどして、ようやく場面転換。アニーたちは迷路の中へと足を踏み入れるのだった。
そこからの迷路内部の美術は素晴らしかった。どの部屋もどの仕掛けも目を見張るような造形物ばかり。何度でも繰り返すがダンボールと紙で作られているから驚きだ。
さらに演出もそれに比例して良くなっていく。恐ろしい怪物のミノタウロスが登場したり、ある場面ではパペットを使用したり、とにかく飽きない視覚効果を提供するサービス精神に溢れていた。
だが美術にステータスを全振りしたからなのか、他の部分がおざなりになってしまったことは確かだろう。特にストーリーに関しては色々ともったいないと思うところがあった。
その一因は日本版の予告と邦題にもある。その両方だけ見れば、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『CUBE』的な密室ホラーを想起するかもしれない。だが、この作品は決してそのような代物ではない。もちろん人は死ぬし、迷路の中にトラップはあるけど。
ではこの作品が描いているものは何か? それは「夢との対峙」に他ならない。
この作品、原題は「Dave made a maze」(デイブは迷路を作った)というシンプルでテーマに即したタイトルになっている。ではなぜ、迷路を作るのか? そう問われたデイブの答えこそ冒頭のセリフだ。
「迷路を作ったのは、何かを作りたかったからだ」。
彼はもう三十歳。いい加減自分は「やりたいこと」だけで生きていく才能もないと自覚し始めている。しかし引き下がる勇気もなく、まだどこかで夢を見ている部分もある。迷路とはただのアトラクションではなく、その二つの感情に板挟みになっている彼の精神状態を表した観念的なものではないだろうか。
そしてミノタウロスの存在も無視できない。ギリシャ神話におけるこの牛頭人身の怪物は成長するにつれて凶暴になり、とうとう迷宮に幽閉されてしまった。デイブの迷路におけるミノタウロスは、おそらく彼の肥大化した承認欲求を表しているのではないか。
夢は自分の中にあってはさながら迷路のように行き場のないもの。それにどうケリをつけるか。絵や小説などクリエーションの世界に片足を突っ込んだことがある者なら心にくるメッセージを、この幻想譚から確かに感じとった。